2011年5月12日木曜日

博多⇔熊本往復記 諸岡達一 B班

 広く大きなキャンバスにぽたりぽたりと青絵具を落としたように、惜しげもなく豊かな色の濃さを見せ付ける筑後平野。遥か遠く丘陵がうねっている。車窓を大切に列車を旅する僕は、初めて乗る九州新幹線の新鮮な車窓を、見落としなきように見惚れていた。
 2011年3月12日のJRダイヤ改正に合わせて全通開業(博多←→鹿児島中央)、既にして多くの乗客の重宝を満たしている九州新幹線。便利さと車窓の美しさと、車内空間の心地よさは極上である。
 交通ペンクラブの試乗会B班は、2月24日(木)13時10分博多発「回送917号」、熊本駅往復の臨時ダイヤで実に気持ちのよい旅をさせていただいた。
 博多駅11番線に待っていたのは新しいN700系8000番台の列車。現在「みずほ」「さくら」として新大阪駅←→鹿児島中央駅を結ぶ山陽・九州新幹線直通用の8両編成。
 車内は「和のもてなしを意識した装い」。テーブルや窓枠も木材が使われている。ホテルや旅館の部屋に案内された瞬間「おー、いい部屋じゃん」と言う、あの感じである。贅沢に心穏やかに車窓が眺められそうな予感がするところが嬉しい。なるほど! 普通指定席のシートが「2+2」なのもいい。
     
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 試乗車は左手に博多南の新幹線車両基地を見ると一気に加速する。福岡県と佐賀県の境に構える背振山地へ、35‰(パーミル)の勾配を、グイと腰のあたりに重力を感じるほどの力強さで登っていく。わずか3分で時速270㌔まで加速可能な動力性能を持つ新N700系車両は、九州新幹線で最長の筑紫トンネル(1万1935㍍)にスーッと入っていく。出たところが新鳥栖駅。鳥栖はすでに大量輸送の交通網「九州自動車道」「長崎道」「大分道」が交わっている。そこに九州の太い背骨が仕組まれたカタチだ。
 筑後川鉄橋を鹿児島本線と並んで渡ると久留米駅。筑後船小屋駅、新大牟田駅。この辺りの車窓が冒頭に記したように美しい筑後平野。右手にくっきり独立して見えてくるのが雲仙岳(1483㍍)。大空を屏風にして華麗に立つお雛様のような裾の広がりが燦然として目映い。するとまもなく新玉名駅を通過する。
 いい按配にのんびり車窓を眺めていると「……きょうの旅の意味はなんなんだろう。口は黙っているけれど脳がはしゃぎ過ぎだ……」。日本の居住空間的たたずまいの中で用事もなく列車耽溺できるのはこの世の極楽である。
 博多からたった33分、熊本駅に静かに滑り込んで、とりあえず終点。試運転列車だから鉄道用語で言うと「ドア扱いなし」、ホームに出たりはしない。豊かな座席にどっかりと座ったまま「レオ」(蛇足=列車折り返し)。
 内田百閒センセイが夜間寝台急行「筑紫」などに乗り東京から33時間がかりでやって来て、九州をあちこち旅する文学作品「第一、第二、第三阿房列車」。車窓をぼんやりと眺めながら『落ち着いて考えて見ると、全く何も用事がない。行く先はあるが、汽車が走って行くから、それに任しておけばいい。私が自分の足で走るのではないから、どこへ行くつもりでこの汽車に乗ったかと云うことを、忘れても構わない……』と、百閒センセイは、いい心持でぼんやりしながら『そうして、その事の味を味わう』とおっしゃっている。まったくである。この悟り切った心境たるや!
 それにしても、僕たちは熊本駅でホームにも出ないのはなにやら登楼せずに引き返す「素見」(ひやかし)みたいで妙な気持ちだったものの、取って返して博多へ向かう。今度は西側の座席に移って、来た時とは違った角度の車窓風景を堪能する。「乗り鉄」などと近ごろは言うそうだが、鉄道風景は何度同じ線に乗っても違うから面白い。それも同じ路線往復が最上である。西に見える山と東に見える山、街並みも、森も、鉄橋も、田畑も進行方向によってそれぞれ景色は別物なのだ。
     
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 博多に戻る。早い。近い。今回の全通によってもたらす利便は底知れない。たとえ福岡ヤフードーム球場でプロ野球の試合終了が午後10時だとしても、最終の「みずほ」に乗れば鹿児島中央駅に23時46分に帰着できるから野球ファンも増大しそうだ。その逆で、九州の広島カープ・ファンも広島球場へは乗り換えナシで通える。
 ビジネスやレジャー観光分野で決定的なのは、岡山→鹿児島中央が2時間59分、広島→熊本が1時間37分、それ以前よりも52分~72分短縮してしまった。JR西日本とJR九州との友情開発の果実は甘く効果は大である。新N700系のボディーに描かれたロゴは両社が手を取り合う形になっていて印象的である。
 思えば九州新幹線の建設計画は1973(昭和48)年の「整備新幹線5線」モンダイから始まって、財政難、難工事、国鉄民営化、鹿児島ルートやら長崎ルートやらと、さまざまな障害を乗り越えての結実である。これはもう「九すれば通ず」というしかない。      (2011年2月28日記)