2011年5月12日木曜日

救われた「乗客は無事」

東日本大震災 JR東日本に深い傷跡
 あの時、東北新幹線は27本の列車が走っていた。太平洋沿岸に設置した地震計による「早期地震検知システム」が働いて、本震が来る前に各列車は減速―停止して脱線を免れた。
 3月11日午後2時47分3秒、東北新幹線の線路から約50㌔離れた牡鹿半島の地震計が運転中止の基準となる「120ガル」の加速度を捉えた。即自動的に電気の供給をストップ、走行中の新幹線は一斉に非常ブレーキをかけて減速を始めた。揺れが大きかった仙台駅と、1つ北の古川駅間には「はやて27号」と「やまびこ61号」が走っていた。JR東日本によると、この2列車が非常ブレーキをかけた9秒後から12秒後に最初の揺れが始まり、1分10秒後に最も強い揺れを記録した。
 新幹線の回送電車が仙台駅の近くで二軸脱輪したが、乗客のいる営業運転の列車は脱線しなかった。しかし、高架橋の柱が損傷、電柱の折損、架線の断線、軌道の変位・損傷など約1200カ所で被害を受け、3月5日にデビューしたばかりの「はやぶさ」も運休に追い込まれた。最後に残った仙台―一ノ関間が復旧して、東京―新青森間の全線運転を再開するのは4月末の予定だ。
 在来線では仙石線の野蒜駅付近で4両編成の列車が津波で流され、L字型に脱線した。このほか常磐線新地駅、気仙沼線松岩―最知間、大船渡線盛駅でも列車が脱線・転覆するなどしたが、幸い乗客に被害はなかった。太平洋沿岸を走る7路線23駅の駅舎が流失、線路が総延長22㌔にわたって流失したり、土砂に埋まった。
 第三セクター三陸鉄道も大きな被害を受けた。南リアス線盛―釜石間36・6㌔は復旧のメドも立っていない。北リアス線宮古―小本間25・1㌔、陸中野田―久慈間11・1㌔で運転を再開したが、小本―陸中野田間34・8㌔は不通のまま。仙台空港アクセス鉄道(名取―仙台空港7・1㌔)、ひたちなか海浜鉄道湊線(勝田―阿字ヶ浦14・3㌔)の運転の見込みも立っていない。大洗鹿島線(水戸―鹿島サッカースタジアム53・0㌔)は新鉾田―大洋間でバスによる代行運転をしている。
 3・11当日、JR東日本は午後6時20分、管内の全新幹線と首都圏の在来線全線などで運転打ち切りを決定した。各駅は早々にシャッターを閉めた。この措置に、足を奪われて歩いて帰宅する人たちから強い非難の声があがった。清野智社長は記者会見で「批判を真摯に受け止め、非常時の対応を検討したい」と答えた。