2011年5月12日木曜日

「はやぶさ」に試乗して ~諸岡 達一~

 杜の都の青葉通り……二百二十何本のケヤキは若い新芽のときからなんともいえない芳香を放つ。昔から「仙台は双葉より芳し」と言う(言わネエか)。
 交通ペンクラブの面々は笑みとお腹をふくらませて大宮駅酒豪……集合。今試乗会は革新的乗り心地を処女的に味わう旅であるからして……仙台では改札口を出ることもなく、双葉より芳しの青葉通りを歩くこともなく、せっせと駅ナカ売店にて、牛タン弁当を宮城に抱えて、すぐさま列車に戻るのであった。(「宮城」は「土産」の駄洒落です。駄洒落に解説を要するのはつらい)。
   
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 いや、しかし。「揺れませんねえ」。口々に感嘆の声。テーブルに立てたスティック糊が「倒れませんヨ、ほら」。フルアクティブサスペンションと、カーブ箇所では車体をスムーズに傾斜させる装置をダブルで制御させる試みが巧く噛み合って車内は振動がほとんどない。
 今冬の山は雪が多い。日光連山、白く輝く奥白根山(2578㍍)が瞬間頭を見せ、那須塩原駅を通過、那須連山を左手に迎える辺り、「ただいま、時速300㌔で運転しています」のアナウンス。静かだ。レールに触れている感触はあまり感じない。空気抵抗を大幅に少なくした15㍍のロングノーズがトンネルに突っ込む。爆音も圧迫感を覚える振動も減った。
 昔の列車は網棚から荷物がよく落ちた。客車はガタンゴトンと揺れたものだ。でかいリュックサックが落ちて膝を怪我したことがあるのでリュックサックは縄で網棚に縛り付けた。「なぜ、網棚の荷物は真下に落下するのか」という物理学的命題、あれは等速度運動をしている物体には慣性の法則が働くからであって、列車が走っているからといって置いてあった網棚の位置より後ろに荷物が落下することはない。ここでは荷物も時速300㌔という等速度運動をしているから……うるさい! 大法螺を福島(吹く暇)もなく「はやぶさ」の車窓には吾妻連峰がいっぱいに広がって、まるでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調のような流麗優美な旋律を醸してE5系は早くも蔵王トンネルへ。
 「はやぶさ」は2012年には日本単独1位となる時速320㌔を出す所存である。山陽新幹線で現在300㌔を出しているN700系車両もうかうか出来ない。
 「はやぶさ」は10両編成。東京発新青森駅行の「はやぶさ1号」「はやぶさ3号」は先頭車がグランクラス。このスーパー・グリーン車は1~6番それぞれAが一列、BCが二列の18席しかない。デビューした3月5日、新青森までのグランクラスのキップがインターネット・オークションでは38万5000円で落札されたそうで、シェー! びっくり常識外もいいところ、世の中「あじゃパー」である。
 普通車のシートピッチが980㍉から1040㍉に拡大されたからA席の人がB席の人に、いちいち「すみません、すみません」「どーも、どーも」と言わなくてもトイレに通える。3人掛けシートの横幅もA席とC席が430㍉から440㍉に、B席が435㍉から460㍉へと拡大した。海外にも売り込む新幹線デザインの中軸を成すことになろう。パンタグラフも1個しかなく……あ、交通ペン会員のみなさんに列車の専門噺は「糠に説法、釈迦に釘」だ。この辺でやめておく。
  



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 それにつけても「はやぶさ」という愛称……ついこの前は惑星探査機「はやぶさ」が話題を呼んだが、僕なんぞはブルートレインの「はやぶさ」という固定観念が脳髄に保持されていて、それが青森行きになった今日日、記憶認知上の乱れを生じる。東京駅15番線19時00分発車。 兄弟分の「あさかぜ」(博多行き)が出た30分後に悠然と出発する鹿児島行き「はやぶさ」、食堂車が連結されていたAB二等寝台特急のコト。九州内ではC61蒸気機関車が牽引したんだよな。
 昔噺をしてもシャアない。昭和4(1929)年に走り始めた東京←→下関の特急「櫻」が現在は新大阪←→鹿児島中央「さくら」となって走り、昭和5(1930)年走り始めた東京←→神戸の特急「燕」がいま九州新幹線で「つばめ」となって走っている、現代の風には逆らえぬ。《追い風(おいて)は帆に従え》じゃ。
 ブルトレ「はやぶさ」が消えたのは2009年3月。それから2年後に東北新幹線の新型車としての愛称復活なのである。歳月は人を待たず。時の進捗は速エー。
 そんなこんなと脳裏線路が過去現在未来を行き来するうちに蔵王連峰の真っ白な峰に迎えられて「はやぶさ」はあっという間に仙台着。大宮から1時間13分。速エーのなんの。
 その昔、昭和31(1956)年師走、カノジョと二人、急行「みちのく」(上野発9時50分・常磐線回り青森行き)で仙台へ旅したときは6時間、それでも「もう着いちゃったの……」と感じるくらい早かったのが懐かしや。また昔話、しかも自分噺になってはイカン……この辺で「めでたし、めでたし」とした方がE5ではない系。
 (2011年2月25日記)















試乗会参加者(敬称略)石神源助、笈川力三、大澤宏海・桂子、大豆生田明宏、岡本禮子、荻原正機、小澤耕一、柏靖博、河合恭平(代理)、隈部紀生、小清水忠、齋藤雅男、貞廣長昭、菅建彦、菅原順臣、関原誠一、曽我健、竹内哲夫、田沼純、辻勝、堤哲、中島啓雄、野沢太三、初田正俊、原田登志雄、平野雄司、二川和弘、古林肇道、増田浩三、三上栄太郎、三坂健康、水野弥彦、吉澤眞、島隆、十河光平、米山淳一、佐藤俊恵、新木利明、大野圭子、栗原稔枝▽日本交通協会=前田喜代治、斉藤彰、野中章▽交通協力会=高橋昭夫▽運輸調査局=福眞峰穂▽日本フレートライナー=高田岳