2010年11月15日月曜日

会員の著書2冊を紹介します



「昭和の怪物」と「万年Bクラス球団」




 交通ペンクラブ会員の著書を2冊紹介する。牧久氏の『特務機関長許斐(このみ)氏利―風淅瀝(せきれき)として流水寒し』(ウェッジ刊、1890円)と堤哲氏の『国鉄スワローズ1950―1964』(交通新聞新書、840円)である。


 日本一の柔道家をめざして福岡から上京するが、嘉納治五郎に講道館を破門され、右翼学生活動家として2・26事件で北一輝のボディーガードを務める。軍人、長勇と義兄弟の契りを結び、戦時下の上海、ハノイで100人の特務機関員を率いて地下活動に携わる。戦後は、銀座で一大歓楽郷「東京温泉」を開業、クレー射撃でメルボルン・オリンピックにも出場した“昭和の怪物”がいま、歴史の闇から浮上する。
 以上はウェッジのホームページにある紹介文だが、近代史の暗部に迫る骨太のノンフィクション作品である。なぜ許斐氏利なのかは、牧氏の前作『サイゴンの火焔樹―もうひとつのベトナム戦争』(ウェッジ刊)からつながる。牧氏は日経新聞のベトナム特派員としてサイゴン陥落から一気に進んだ共産主義革命をリポートするが、その取材・情報源となったのが「許斐機関」の一員だったベトナム残留の元日本兵だった。しかし、「許斐機関」について語ることはなかった。
 「許斐機関」とは何だったのか。素朴な疑問から始まって、許斐氏利を歴史の表舞台に引き出した。サイゴン特派員仲間の古森義久産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員は「地をはうような取材での良質なノンフィクション。あっと驚かされるほど奥行きが深く、なお面白い力作」と激賞している。
      ◇
 『国鉄スワローズ1950―1964』は60年前にプロ野球がセ・パ両リーグに分裂した際、セ・リーグ8番目の球団として国鉄スワローズが誕生、東海道新幹線が開通した1964(昭和39)年に国鉄が赤字に転落して、その年を最後に球団経営から手を引くまでを描いた。
 『女流阿房列車』(新潮社)の著作のある鉄道ファンのエッセイスト、酒井順子さんは朝日新聞読書欄(10月10日付)の書評でこう書いている。
 「国鉄と野球とは、何と深い縁で結ばれていることか。そして鉄道マンの精神と日本野球の精神は、どこかで通じ合うものがあることにも、気づく」 「野球は鉄道の歴史とも結びついています。明治11年に日本初の野球チームを作ったのは、アメリカで鉄道技術を学んでいるうちに野球好きになった鉄道技師(注・野球殿堂入り第1号の平岡凞)。その後全国の国鉄で野球チームが発足し、国鉄野球は戦前から、アマ強豪として知られていました」
 「しかしスワローズは、プロとしては弱かった。名投手・金田正一を擁したものの、3位になったのが1度だけ。それでもスワローズは、幹部から職員まで国鉄一家の応援をバックに、奮闘したのです。金田選手の『ホンマにいい球団だったのよ。弱かったけどな』『温かい球団だった』という言葉は、球団の魅力を我々に教えてくれます」
 JR九州がことし都市対抗野球で準優勝、鹿児島鉄道管理局の選手だった西村徳文が監督になってロッテ旋風を起こし、日本シリーズに勝利したのも、「国鉄野球」復活ののろしに違いない。