2010年11月22日月曜日
2010年11月15日月曜日
東北新幹線 東京―新青森間
試乗会に53人が参加
12月4日に開業する東北新幹線東京-新青森間の試乗会をJR東日本が11月3日実施、交通ペンクラブから53人が参加した=写真
大正8年生まれの石神源助さん(元交通新聞)はこの日が91歳の誕生日。帰りの車中でお祝いのケーキが贈られ、参加者全員でハッピーバースデー・トゥ・ゲンスケを合唱して祝福した。「腰痛で参加を取りやめようかと思いましたが、こんなラッキーなことはない」と石神さん。石神さんが最高齢かと思ったら「間もなく92歳になります」と齋藤雅男さん(元国鉄)。同じ大正8年生まれだが、来年1月には誕生日を迎えるという。長寿万歳だ。
試乗会のダイヤは上野発午前11時22分―盛岡着午後1時56分。盛岡で乗り換えて、同駅発午後2時13分―新青森着午後3時05分。帰りは新青森午後3時50分発―上野着午後7時30分。
新しく開通するのは八戸―新青森81・8㌔だ。途中駅は七戸十和田駅1つ。トンネルが19もあり、その延長が50㌔、62%に及ぶ。八甲田トンネルは26.45㌔。地上にある複線断面では世界最長だ。スイスで単線断面57㌔の長大トンネルが貫通したと社内放送で説明があった。鮮やかな紅葉を楽しんでいると、30分足らずでもう終着だ。さすが本州最北端。空気が冷たい。この日の最高気温は6・9度で平年より7度も低かった。
ねぶた囃子に迎えられ、「縄文と未来の融合」をデザインイメージした駅舎を見学して滞在45分。再び車内に戻って、快適な乗り心地に身を任せた。
ラベル: 103号
試乗会に53人が参加
ラベル: 103号
鉄道遺産のゴールデントライアングル
北海道遠軽町丸瀬布・陸別町・上士幌町を訪ねて
代表幹事団体?交通協力会の菅建彦理事長(交通ペンクラブ会員)、佐々木修一遠軽町長のあいさつのあと、同町産業課担当係長、小山信芳さんが「雨宮21号の動態保存への足跡」を発表した。
雨宮21号は1928(昭和3)年に東京の雨宮製作所で製作されたSLで、かつては国鉄石北本線丸瀬布駅構内から山奥深くに敷設された森林鉄道で活躍した。1980年に修復され、現在は「丸瀬布いこいの森」内の2㌔区間で運転されている。牽引する木造客車は西武山口線で使用されていたもの。井笠鉄道(岡山県)が廃線となって、西武鉄道が取得した。
続いて4団体が活動報告。旧国鉄池北線陸別駅構内で気動車を体験運転している「りくべつ鉄道」について陸別商工会副会長の山本周二さん。JR西日本広報部の三谷竜平さんは「鉄道遺産を調査・保存することが社会貢献につながる」と鉄道記念物への取り組みを紹介した。
岡山県の「片上鉄道保存会」代表の森岡誠治・直子夫妻は、吉ケ原駅の駅長猫「コトラ」の本が出版されたことなどを楽しく紹介した。
「馬路村やなせ森林鉄道運営委員会」(高知県)の会長の清岡博基さんは、1911(明治44)年に誕生した森林鉄道の橋梁、隧道等の14の構造物が国の重要文化財に指定され、保存活動に誇りが生まれたと報告した。
最後に北海道教育大学の今尚之准教授が「北海道の近代化遺産の保存と活用」の講演をした。2011年度の総会は、新たに開館する「JR東海・リニア鉄道館」で開催することが決まった。
2日目は「りくべつ鉄道」のある陸別町に会場を移した。廃線から3年、鉄道は不滅として地域住民と町が力を合わせて気動車の動態保存をしている。金沢紘一町長の歓迎のあいさつのあと、道内8団体が活動報告。
幌内鉄道関連資料や道内を走った旧国鉄の名車を保存展示する三笠鉄道村(三笠市)、夕張炭鉱廃坑とともに消えた鉄道の車両を保存管理する三菱大夕張鉄道保存会(夕張市)、海底から採掘する石炭の運搬列車の「釧路臨港鉄道友の会」(釧路市)、国鉄旧士幌線のコンクリートアーチ橋群を国登録有形文化財として保存している「NPOひがし大雪アーチ橋友の会」(上士幌町)、小樽市手宮にある総合博物館の歴史的鉄道車両の保存整備を行う「NPO北海道鉄道文化保存会」(小樽市)、旧根室本線狩勝で20系ブルートレインなどの歴史的車両の保存を進める「NPO旧狩勝線を楽しむ会」(新得町)、釧網本線でイベント列車の運転などを行う「MOTレールクラブ」(網走市)の代表らが次々に登壇。これを受けて陸別町総務課の佐々木敏治さんが道内各団体の緩やかなネットワークの設立を提案、拍手で賛同された。
3日目の9日は士幌線の廃線跡見学。上士幌町長・竹中貢さんの歓迎あいさつを受けて、貸切りバスで回った。案内は「NPOひがし大雪アーチ橋友の会」の角田和久事務局長ら。糠平川に沿って残る駅ホームの痕跡、軌道敷、お目当てのコンクリート橋など鉄道遺産の魅力を楽しんだ。
旧糠平駅舎跡に建設された鉄道資料館を見学、手作りトロッコの体験乗車もあった。
(米山淳一・交通ペンクラブ会員・日本鉄道保存協会顧問)
ラベル: 103号
会員の著書2冊を紹介します
以上はウェッジのホームページにある紹介文だが、近代史の暗部に迫る骨太のノンフィクション作品である。なぜ許斐氏利なのかは、牧氏の前作『サイゴンの火焔樹―もうひとつのベトナム戦争』(ウェッジ刊)からつながる。牧氏は日経新聞のベトナム特派員としてサイゴン陥落から一気に進んだ共産主義革命をリポートするが、その取材・情報源となったのが「許斐機関」の一員だったベトナム残留の元日本兵だった。しかし、「許斐機関」について語ることはなかった。
「許斐機関」とは何だったのか。素朴な疑問から始まって、許斐氏利を歴史の表舞台に引き出した。サイゴン特派員仲間の古森義久産経新聞ワシントン駐在編集特別委員・論説委員は「地をはうような取材での良質なノンフィクション。あっと驚かされるほど奥行きが深く、なお面白い力作」と激賞している。
◇
『国鉄スワローズ1950―1964』は60年前にプロ野球がセ・パ両リーグに分裂した際、セ・リーグ8番目の球団として国鉄スワローズが誕生、東海道新幹線が開通した1964(昭和39)年に国鉄が赤字に転落して、その年を最後に球団経営から手を引くまでを描いた。
『女流阿房列車』(新潮社)の著作のある鉄道ファンのエッセイスト、酒井順子さんは朝日新聞読書欄(10月10日付)の書評でこう書いている。
「国鉄と野球とは、何と深い縁で結ばれていることか。そして鉄道マンの精神と日本野球の精神は、どこかで通じ合うものがあることにも、気づく」 「野球は鉄道の歴史とも結びついています。明治11年に日本初の野球チームを作ったのは、アメリカで鉄道技術を学んでいるうちに野球好きになった鉄道技師(注・野球殿堂入り第1号の平岡凞)。その後全国の国鉄で野球チームが発足し、国鉄野球は戦前から、アマ強豪として知られていました」
「しかしスワローズは、プロとしては弱かった。名投手・金田正一を擁したものの、3位になったのが1度だけ。それでもスワローズは、幹部から職員まで国鉄一家の応援をバックに、奮闘したのです。金田選手の『ホンマにいい球団だったのよ。弱かったけどな』『温かい球団だった』という言葉は、球団の魅力を我々に教えてくれます」
JR九州がことし都市対抗野球で準優勝、鹿児島鉄道管理局の選手だった西村徳文が監督になってロッテ旋風を起こし、日本シリーズに勝利したのも、「国鉄野球」復活ののろしに違いない。
ラベル: 103号
2012年春 東京駅 優雅に
ライトアップのデザインは、面出薫氏。1950年生まれ、東京芸大大学院修了。㈱ライティングプランナーズアソシエーツ代表取締役。照明はすべてLEDを使い、誰でも親しめる「和やかな景色」を演出した。
ラベル: 103号
2027年 リニアの「春」到来
JR東海が2027年に東京(品川)―名古屋間を40分で運転するリニア中央新幹線の車両「L0(エル・ゼロ)」系がこれだ。Lはリニア、0は営業線仕様の第1世代の車両という意味である。
先端部分の鼻の長さは15㍍。車内は700系より1列少ない4列シートで、先頭車両で24人、中間車両で68人が乗れる。最長12両編成で最終的な走行を行う。。
色は、東海道新幹線のイメージを踏襲して白をベースに、青のラインで軽快感と躍動感を表している。
総工費5兆4300億円。引き続き大阪まで3兆6000億円で延伸、2045年には東京(品川)―大阪間が67分だ。
ラベル: 103号
的外れのスイス列車事故報道
少々前の話で恐縮だが、今年の夏のはじめスイスで観光列車の脱線・転覆事故があった。日本人客も乗っていたので、マスコミは「氷河特急転覆」と大きく報じた。テレビや新聞の現場写真を見ると、なるほど車体にGlacier Expressと書いてある。
「オリエント急行殺人事件」という映画がある。アガサ・クリスティの推理小説を映画化したものだが、今でも時たまテレビで放映される。これに出てくる優雅な客車にはOrient Expressと書かれている。
同じExpressなのに「オリエント」では「急行」であったのに、「氷河」では「特急」にされてしまっている。どうしてこんなことになったのか。
やはりこれは近年のJRの「特急」乱発に、マスコミも洗脳されてしまったのではないか、という気がする。
「氷河」を「世界一遅い特急」などとコメントした新聞もあった。しかし、これは「速さ」を売り物にする列車ではない。速くないからこそ、じっくり観光ができる。こんなことからも「特急」などと訳すにはおかしい。
「オリエント急行殺人事件」も、もし今日このごろ日本に紹介されていたら「オリエント特急殺人事件」にされてしまっている恐れは多分にある。
(交通ペンクラブ会員 河合 恭平)
ラベル: 103号
会員訃報
戦時中、マニラ新聞に出向、敗戦で比島のジャングルをさまよう「山の兵隊」となった。柳井乃武夫著『万死に一生』(徳間文庫)と同じ体験をした、と話していた。同じ部隊に、交通ペンクラブ会員の山岡通太郎氏(国鉄)の実父・山岡儀助氏がいた。
ラベル: 103号
2010年10月4日月曜日
2010年7月27日火曜日
山手線恵比寿駅にホームドア
ラベル: 102号
2010年7月26日月曜日
和やかに懇親パーティー
ラベル: 102号
懇親パーティー
このセミナーは前原誠司国土交通大臣を先頭に、官民一体で日本の新幹線技術をトップセールスしようというねらいで開かれたもので、JR東海の田中宏昌顧問(元副社長)も参加、清野社長とともに、日本の新幹線経験を話した。
ラベル: 102号