2010年2月1日月曜日

旭山動物園のこと

旭山動物園のこと            
   吉澤 眞

 昨年亡くなった夫、吉澤曻の思い出をしたい。 
 吉澤は40年ほど前の国鉄時代、旭川鉄道管理局長に赴任した。見習いを札幌でしたので北海道とは縁がある。 
 それにしても旭川駅前はガランと広くてどうもさびしい。そのときアイヌのおばさんが母熊からはぐれた仔熊を飼っているという話をきき、これだ!と思った。開成中学に通っていた吉澤は上野の森はわが庭と心得て、図書館、美術館、博物館、動物園で学校帰り2時間は遊んでいたという。 
 旭川駅前にヒグマの赤ちゃん2頭の小動物公園ができた。アイヌのおばさんが世話役で、暑いとき水浴びをさせると仔熊たちは大喜び。そのぬいぐるみのような愛らしい姿は大人気。駅前にはたくさんの人が集まるようになったという。 
 熊の成長は早く、管理局事務方は「危険なので局長、もうやめて下さい」という。吉澤がなかなか「うん」といわないので、とうとう警察を通して廃止ということになってしまった。 仔熊の人気を見ていたのが当時の旭川市長、五十嵐広三氏である。 
 「それなら私が動物園の立派なものをつくる」とそれまでの小さな旭山動物園拡張計画をスタートさせた。五十嵐市長は市民に信頼されるスケールの大きい政治家で、3期11年の市長の後、衆議院議員となり、村山内閣の官房長官を務めた。 
 ところで吉澤がしばらくして旭山動物園を見に行ったところ、上野動物園とはスケールが違うとしてもあまりにもしょぼくれている。「これは経営的に無理なのではないか」と吉澤が言うと、市長は「もう少し続けてみよう」と粘っていた。 
 こうして誕生した動物園はいまどうなっているか。すばらしい人材を得て、スタッフの動物への愛情の日々の努力で日本一の動物園となり、各国の専門家が視察する国際的にも評価の高い動物園に開花した。 
 北海道、日本の宝物になったのだ。 がんと分かり、私は晩年の吉澤と2日間、旭山動物園で過ごした。 
 五十嵐広三氏は84歳。まだお元気で旭川の「株式会社ほくみん」会長を務めていらっしゃる。  (元交通新聞)