2010年2月1日月曜日

忘年ペンサロンひと言集

 2009年12月24日、クリスマスイブの忘年ペンサロン。日本交通協会ラウンジはこれまで最高の23人で大にぎわい=写真左手前から、敬称略。 

 野沢太三「民主党政権になって、何かと手間がかかっていますが、整備新幹線の予算だけは全額すんなり付きました。よかったと思います」 

 阿部 恂「民主党政権になって、年金がメチャメチャになってしまった」 

 岡田 宏「海外鉄道技術協力協会の非常勤顧問として、主に中国の仕事をしています」 

 斎藤雅男「台湾新幹線は残念ながらお客が減っているが、コンサルタントとして今でも隔月、台北に行っている」 

 曽我 健「会員の皆さんのお蔭で交通ペンクラブは無事存続しています」 

 牧  久「12月13日ホノルルマラソンを5時間44分36秒で完走しました。順位はちょうど半分くらい。最高齢は89歳でした」 

 松浦和英「化石人。世間とのかかわりが少なくなってきている」 

 柏 靖博「昭和50年のスト権ストのとき、ときわクラブにいた。最近、交通ペンクラブの行事は、ほぼ皆勤です」 

 岩崎雄一「国鉄OB会の会員は21万人。元気がいいのは女性。出身は問いません。OB会に入ってください」 

 竹田正興「交通協力会の会長になりました。昭和38年国鉄入社で、24年間いて、そのあと日本食堂(現日本レストランエンタプライズ)に16年。運輸審議委員会の会長からです。交通ペンクラブの例会などで出るカレーライスの味をつくったのは私なんです」 

 堤  哲「会報は次号が100号。原稿をお願いします。99号の8㌻すべてを私1人で書きました」 

 菅 建彦「7月で交通文化振興財団理事長を退任、常勤の仕事が楽になりましたが、団地の役員や本づくり、鉄道保存協会の国際会議出席などで結構忙しくやっています」 

 上地啓理「交通新聞サービスは6月で退任、7月からジェイアール貨物リサーチセンターの常勤顧問をしています」 

 鈴木隆敏「人畜無害の生活ですが、豊かです。これまでがどれだけ空しかったか」 

 吉沢 眞「主人が亡くなってポカッとしています。創建時再建が進められている東京駅は実際誰が造ったのかをキチンと記録してもらいたい、とJR東日本に申し入れています」 

 隈部紀生「73歳になりました。例会の出席率は一番よいと思う。政権交代でメディアは一喜一憂している感じだ」 

 竹内哲夫「大東文化大学、交通文化振興財団の役職を退いた。フィリピンでは40万人の戦争犠牲者が出た。子どもたちへの奨学資金を直接学校に届くように贈っている」 

 山本佳志「東のOB会の会員は現在6万人。平均年齢は80歳近い。国鉄では広報部長も務めたが、広報で見習いの時、よく新聞社の社旗のついた車で自宅まで送ってもらった」 

 三坂健康「十河総裁の最後の秘書。三河島事故で犠牲者宅を1軒1軒謝って歩いたのが印象に残っている。その後、NY事務所長のとき、米議会で新幹線が取り上げられ、ミスター・ソゴウの名前が出た。国威発揚になった」 

 大沢宏海「定年前に胃がんの手術をしました。ソフトテニスで小中学生の育成指導をしています」 

 河合茂美「日本交通協会の図書館長として週2回、火・木曜日に出ています」 

 水野弥彦「河合さんのあとの交通新聞編集局長。64歳でやめて、現在は交通道徳協会の会報づくりのお手伝い。鉄道少年団は全国に55団、2千人の団員がいる。作文コンクールには400編の応募があり、一次審査はすべて1人でやりました」