2009年8月1日土曜日

30年前の戦いの意味を問う

 元日経新聞の牧久さんの『サイゴンの火焔樹 もうひとつのベトナム戦争』(ウェッジ刊)の出版記念パーティーが6月22日、東京・内幸町の日本記者クラブで開かれた。交通ペンクラブの面々を含め350人にものぼる出席者で、発起人が壇上に勢ぞろいした開会時は、入口から人があふれるほどだった。 交通ペンクラブの曽我健代表幹事が2番目にあいさつして、牧さんがときわクラブにいた駆け出し記者時代の思い出を語り、続いて「諸君!」編集長の斎藤禎日本経済新聞出版社会長が「ベトナム戦争終結10年の企画でサイゴン陥落後の各紙の記事を縮刷版で読み比べましたが、牧特派員電が一番よく実態を報告していた」と、「諸君!」85年6月号の「サイゴン1975.4.30 (サイゴン陥落10年)」を牧さんに執筆依頼した経緯を話した。 会場には、日経の鶴田卓彦元会長、杉田亮毅会長らも詰めかけ、さながら日経のOB会。中川秀直・自民党元幹事長は「社会部のとき、牧さんに厳しく鍛えられました」とあいさつした。 
最後の最後にお礼を述べた牧さん。「きょうで日経新聞をやめました。45年の日経生活でした」と、爆弾発言。東京五輪の64年に入社して副社長からテレビ大阪会長となり、07年から日経の顧問になっていた。「30年ぶりにベトナムを再訪して、当時の助手らと再会。スパイ容疑がかけられたり、国外に脱出したりで、あの革命は何だったのだろう、というのがこの本を書くきっかけでした」。 
 当時毎日新聞のサイゴン特派員だった古森義久氏(産経新聞ワシントン駐在編集特別委員)は産経新聞の書評(6月28日)で「闘争の主役だったはずの南ベトナムの革命勢力が勝利後に圧殺された事実や、旧政権側に生きた市民たちが新社会では排され、削(そ)がれていった事実をも具体的な事例を重ねて告げていく。その結果、ベトナム戦争全体の実像が立体的に姿を現す」とつづった。 日経社会部の後輩で月刊「ファクタ」の阿部重夫編集長は「頑としてサイゴンに居残り続け」「身の危険を顧みない記事にはタブーのはずの臨時政府批判もあって生々しかった」と、牧特派員の記事を評価、この本については「フトマキさん(社会部時代の愛称)、あなたは『ベトナムの敗者』の証人だったのですね」とブログに書いている。