常世田さんの告別式にて 曽我健
髪は少々薄くなったがちょっとあごを突き出して、半分照れくさく半分得意気な表情。祭壇にはいくつになってもいたずらっ子のような常世田さんの写真が飾られていた。いい笑顔だった。
「あのねぇ、みなシャン」今にも例の角栄節が聞こえてきそうな気がする。 小田原から駆けつけた浄土宗城源寺の古林肇道住職が導師を務め、一人で木魚を叩きながら「なむあみだぶつ、なむあみだぁ」と経を読んだ。
住職は元はと言えば毎日新聞記者。もう40年も昔になるが常世田さんとは国鉄ときわクラブで机を並べ記事を書き、麻雀で遊んだ。幼馴染のように「トコちゃん」「フルさん」と呼び合って、傍目から見てもいい仲間だった。交通ペンクラブ発足のときからの会員でもある。
クラブ1年生の私から見れば常世田さんは百戦錬磨の大先輩で、神出鬼没、自由奔放、それでいてさりげなく細やかな気配り、みんなに一目置かれていた。仕事を愛し、和して同ぜず、決して群れず、勝負事は抜群の強さだが淡々と溺れることなく、今振り返るとその頃から人生を達観しているようなところがあった。その辺でも僧籍の「フルさん」と気持ちが通じていたのかもしれない。
まさか常世田さんが声をかけたわけではないのだろうが、脳出血で意識不明になった1月3日、同じ日に古林さんも本堂で動けなくなり救急車で運ばれたという。脳梗塞で3週間の入院、出血場所の違いが生死を分けたが不思議な縁を感じる。
その古林住職が万感の思いをこめて告別式で「トコちゃん」に送った餞別の言葉を再録させてもらう。フルさんは通夜の席でこんな話もした。
「トコちゃんはどこへ行ったのか。浄土宗の教えでは西方浄土、極楽浄土。私はないと思っているのだが、あってもおかしくないとも思っている。美しい夕日を拝んでごらんなさい。お釈迦さまがいる。トコちゃんは順応性があるから私たちのところへ帰ってくる。思い出の中に永遠に生きている」
住職には珍しく時々言葉に詰まり、少し涙声だった。 (元NHK)
古林肇道住職の弔辞
究竟大乗浄土門 諸行往生称名勝 我閣万行選仏名 往生浄土見尊体
究竟大乗浄土門 諸行往生称名勝 我閣万行選仏名 往生浄土見尊体
人生は苦の海なり。涙の谷なり。咲く花に散る時あり、満てる月に欠くる時あり、生あるものに死あり、楽あるものに苦あり。会う者は常に離れ、盛んなる者の衰うるは人生の常相なり。我等ひとしくこの世に生まれるもやがて白髪、老の身となり、或は病に侵されて遂に死出の旅路の人となる、誰か百歳の齢を保つことを得んや。
ここに新華台あり俗名 常世田三郎、 贈る戒名を聞譽通達三心居士と号す。
居士は千葉県佐倉の出身、若くしてマスコミを指向し、東京新聞に入社、社会部記者として活躍。特に多年にわたる鉄道記者として辣腕を発揮し「東京新聞に常世田あり」と他社の一目置くところなるも奢らず。性快活にして、田中角栄元総理の物真似を好くし人を和ます。
定年退社後は、栄光の過去をさらりと捨て、ほどほどの酒と競馬を楽しんで飄々たり。
近年、暖冬とは言え、寒暖定まらざるこの冬、五体不調を訴え、桜便りチラホラ聞こえる三月二十四日午後、突如吹き来たれる一陣の風に誘われ、散るが如くに静かに一人逝く。
「鳥鳴き、魚の目に涙」別れは悲しく切なけれども、この深き悲しみは、死に甲斐ある死、生き甲斐ある生を悟る極意たり。そは、居士七十七歳の生涯をもって我らに教示さるところなり。
本日、決別の日に当たり、香語を綴り、一句を贈り、餞別とせん。
足跡の残らば残れ 足跡の 消えなば消えね 一人旅逝く
十念