2009年5月1日金曜日

前途洋々 「第3の柱」

4,000万枚突破した「suica」と「PASMO」

 「Suica」と「PASMO」の発売枚数が4月5日で4000万枚を突破した。JR東日本は、このスイカ事業を本来の鉄道事業、駅と鉄道に関連した生活サービス事業に次いで「第3の柱」と位置づけている。「改札」の変革から思わぬ発展へ、である。 
 スイカのサービスが始まったのは、2001年11月18日だった。新宿駅南口でオープニングセレモニーが行われ、東京圏424駅で一斉に導入された。 
 その後、04年3月22日に電子マネーサービスを始め、07年3月18日からは「PASMO」が登場し、首都圏ではカード1枚でJRも私鉄も都営も改札が「タッチ・アンド・ゴー」となって、便利になった。 
 で、08年1月に「Suica」と「PASMO」の発売枚数が3000万枚を超えた。その伸びはさらに加速して、4月5日現在で4003万枚(Suica2812万枚、PASMO1191万枚)となっている。 
 「改札」の変革から思わぬ発展へ、という表現は2月2日、交通協力会が主催した交通シンポジウム「鉄道の将来展望―技術と経営はどうあるべきか」の中で、JR東日本の大和田徹常務のスライドにあった。 
 改札係の駅員がカチャカチャと芸術的な音を響かせながら乗客の切符を切っていたのは、そう昔ではない。そういえば切符を乗客に持たせたまま入鋏する、改札係の「持たせ切り」が問題になったこともあった。 
 自動改札は私鉄が先行していて「国鉄のような広いネットワークを持つ鉄道では自動改札は無理だ」というのが常識になっていた。山之内秀一郎著『JRはなぜ変われたか』によると、自動改札の導入はキセル防止になるのではないか、その損失額を年間300億円、売上にすると6000億円を失っていると試算。「自動改札は採算のあう設備投資」となったというのだ。 
 JR東日本が始めたのは90年。しかし、定期券の乗客はいちいちケースから出さなくてはならない、今から思えば大変不便なものだった。むろんすでにスイカの開発は進められていた。その功労者は三木彬生(現神奈川臨海鉄道㈱特別顧問)、椎橋章夫(JR東日本執行役員IT・Suica事業本部副本部長)氏らだが、詳しくはJR東日本のHPの研究開発ストーリー「Suica誕生」をお読みいただきたい。 
 香港では97年9月からオクトパスを導入していた。カードにICチップが内蔵されていて、地下鉄もバスも自動改札装置にかざすだけで通過できるうえ、ショッピングにも利用されていた。今のスイカと同じ機能を持っていたのである。 
 香港に負けてはいられないというものの、ICカードは磁気券と比べ一桁高かったという。実用化に向け弾みがついたのは「1枚500円のデポジットをお預かりする」というアイデアにあったと、山之内さんは書いている。 
 大和田常務の発表によると、スイカ事業は「グループ経営ビジョン2020―挑む―」で経営の第3の柱として確立させる、とある。スイカは乗車券の機能や、駅ナカで買物をするときの電子マネー機能、クレジットカードや携帯電話との一体化のほか、個別認証機能を持つことからオフィスビルへの入退館、商店のサービスポイント制などにも活用できる。そのうえチップにはまだ他に機能を載せる「空き」があり、「さらなるビジネス展開」も可能という。 
 駅の券売機もそうたくさん必要なくなり、駅構内のスペースの再編で新たなサービスを提供することが可能だ。将来的には駅空間全体がモデルチェンジされる。 
 そして「ライフスタイルに革命」をもたらし、「Suicaシステム」が社会インフラ化される、と大和田常務は胸を張った。