2008年11月26日水曜日

山之内秀一郎さんを偲ぶ(4)

さよなら ヤマシュウさん

大澤 宏海
 ときわクラブに在籍した際の30年前の国鉄は、運賃値上げと交通ストが年中行事化し、国民から悪評を買っていました。そんな中、運転局長だった山之内さんは特に在来線のスピードアップに熱心で、いろんな夢のある、明るい話題を提供してくれました。記者クラブでも〝ヤマシュウ〟さんの愛称で親しまれていたのを記憶しています。最初の印象は使命感の強い、最も元気のいい国鉄マンでした。
 再会したのは寝台特急カシオペアのデビューのときです。小樽までの試乗会に当時、JR担当の論説・解説委員の一員として参加させていただきましたが、地元の歓迎会で熱弁を振るっていた姿を拝見し、「ヤマシュウ健在なり」を再確認しました。
 ただ、山之内さんが宇宙開発事業団の理事長に就任されたときは驚きでしたが、期待もしました。私もロケット開発には少なからず関心を持っていたからです。20年前、南米の仏領ギアナにまで出掛け、日本で最初の商業衛星打ち上げを目にしました。しかし、日本の打ち上げ技術は欧米に遅れを取っており、国産の、しかも大型ロケットの打ち上げは長年の悲願でした。山之内さんの強いリーダーシップでH―Ⅱロケットもようやく軌道に乗り、宇宙開発もいよいよ新たな段階を迎えただけに、突然の訃報は残念でなりません。陸も空も駆け巡った〝ヤマシュウ〟さん。ご冥福をお祈りします。
(元時事通信)