2011年8月1日月曜日

例会、220回で幕閉じる

最終講師は最多登場の岸井成格氏

 7月22日で例会が終了した。最後となった第220回の講師は、最多16回目の毎日新聞主筆、岸井成格氏。会場の日本交通協会大会議室は満杯の201人。「菅直人首相はいつまで頑張るのか」。 タイムリーな政局談義だった。
 例会は、設立総会の翌月から始まった。第1回は1981(昭和56)年7月31日の金曜日。講師は当時の運輸省大臣官房総務審議官、石月昭二氏(元国鉄清算事業団理事長・日本気象協会会長)で、演題は「総合交通政策の答申について」だった。会場は、新国際ビル9階の日本交通協会大会議室。この年に日本交通協会理事長に就任した天坂昌司氏(元国鉄副総裁)が会場を無償提供、?運輸調査会が講師謝礼の一部を援助してくれた。同調査会理事長の井上邦之氏(天坂氏の前任の国鉄副総裁)の厚意によると、交通ぺンクラブの創設者、?種彦氏が書き残している(会報「交通ぺン」61号)。
 87(昭和62)年4月、国鉄の分割民営化でJR7社が発足。この改革に伴って例会の共催者が運輸調査会から?交通協力会に変わった。以後、交通ペンクラブ、日本交通協会、交通協力会の3者共催で、原則年7回のペースで続けられた。
 最終例会はちょうど満30年。220回だから、1年7・3回開催したことになる。当初は毎月開催。例会案内はプリントゴッコを購入して古林肇道会員(元毎日新聞、小田原城源寺住職)と2人で住復はがきに印刷した。その後、小型コピー機を購入、北鎌倉・明月院脇の?氏の自宅から発送していた。
 司会は、ずっと事務局長の?氏が務めた。?氏は2007年4月、86歳で亡くなられたが、司会の最後はその5カ月前の2006年11月。第188回例会で、講師は精神科医で作家のなだいなだ氏だった。
 岸井氏が講師として最初に登場したのは、1996(平成8)年2月の第112回例会。村山富市社会党内閣から橋本龍太郎自民党内閣に変わった直後で、肩書きは政治部長だった。それ以前の政治評論は同じ毎日新聞の岩見隆夫氏にお願いしていた。
 15年半で16回。「岸井さんの講演はいつも絶妙なタイミング」といわれたが、その間、内閣総理大臣は橋本龍太郎―小渕恵三―森喜朗―小泉純一郎―安倍晋三―福田康夫―麻生太郎―鳩山由紀夫―菅直人と9人も変わっている。混迷する政治を的確に読み解いてくれた。
 登壇回数第2位は3回組。国鉄OBの元衆議院議員・自民党幹事長の野中広務氏、前記岩見隆夫氏、産経OBの山本雄二郎氏、交通経済学者の岡田清氏、日本経済研究センター所長(元日経新聞)新井淳一氏の5人。2回が交通ペンクラブ会員の須田寬氏、林義郎氏や山之内秀一郎氏、葛西敬之氏ら。とりわけJR東海会長の葛西氏が中央新幹線を「交通新大陸の幕開け」とうたって、5兆円余りの建設費を公共事業でなくJR東海が負担をして建設することを表明した(第208回例会、08年9月)の講演が印象深い。
 会員ではこの他、牧久氏(日経新聞副社長・テレビ大阪会長)、ジャーナリス卜のロバートンソン黎子氏(元毎日新聞)、高速鉄道に詳しい住田俊介氏、旧国鉄関係では高木文雄、伊江朝雄、橋元雅司、岡田宏、岩崎雄一、前田喜代治氏らが講演している。