2011年7月7日木曜日

交通ペンクラブ 30周年記念号

 はじめに



 東海道新幹線が開業して間もなく半世紀を迎える。
 ことし96歳になる元国鉄総裁・仁杉巖さんは、土木屋として線路を敷く作業に携わった。傘寿を迎える島隆さんは0系の台車を設計した。祖父、島安次郎さんが果たせなかった弾丸列車の夢を、十河信二総裁から技師長に呼び戻された父親の島秀雄さんとともに親子で果たした。92歳の齋藤雅男さんは運転関係の責任者として初期故障の対応に追われた。このビッグ・プロジェクトの完成を間近で見守った新聞・テレビの記者たち。NHKは「ひかり」号がダイヤ通りの試運転をしたとき、4時間の完全生中継をしている。
 斜陽の鉄道を蘇らせた「夢の超特急列車」の誕生。71歳で総裁に就任した十河さんの「老いの一徹」がなければ、実現はあり得なかった。21世紀は高速鉄道の時代といわれるが、東海道新幹線は決して時代の要請でつくられたものではない。十河さんは、敗戦国ニッポンの復興を世界に認めて貰おうと、東京オリンピックの開幕をゴールに遮二無二突っ走ったのである。
 交通ペンクラブ創設30周年記念事業として、生き証人である会員の皆さんに「東海道新幹線と私」を寄せてもらった。次世代に伝える貴重なドキュメントであると同時に、面白い読み物になったと思う。


                                          2011年7月4日
 
                                 創設30周年総会・記念パーティーの日に
                                      交通ペンクラブ
                                      代表幹事  曽我  健