2011年5月12日木曜日

博多⇔熊本往復記 諸岡達一 B班

 広く大きなキャンバスにぽたりぽたりと青絵具を落としたように、惜しげもなく豊かな色の濃さを見せ付ける筑後平野。遥か遠く丘陵がうねっている。車窓を大切に列車を旅する僕は、初めて乗る九州新幹線の新鮮な車窓を、見落としなきように見惚れていた。
 2011年3月12日のJRダイヤ改正に合わせて全通開業(博多←→鹿児島中央)、既にして多くの乗客の重宝を満たしている九州新幹線。便利さと車窓の美しさと、車内空間の心地よさは極上である。
 交通ペンクラブの試乗会B班は、2月24日(木)13時10分博多発「回送917号」、熊本駅往復の臨時ダイヤで実に気持ちのよい旅をさせていただいた。
 博多駅11番線に待っていたのは新しいN700系8000番台の列車。現在「みずほ」「さくら」として新大阪駅←→鹿児島中央駅を結ぶ山陽・九州新幹線直通用の8両編成。
 車内は「和のもてなしを意識した装い」。テーブルや窓枠も木材が使われている。ホテルや旅館の部屋に案内された瞬間「おー、いい部屋じゃん」と言う、あの感じである。贅沢に心穏やかに車窓が眺められそうな予感がするところが嬉しい。なるほど! 普通指定席のシートが「2+2」なのもいい。
     
          ■
 試乗車は左手に博多南の新幹線車両基地を見ると一気に加速する。福岡県と佐賀県の境に構える背振山地へ、35‰(パーミル)の勾配を、グイと腰のあたりに重力を感じるほどの力強さで登っていく。わずか3分で時速270㌔まで加速可能な動力性能を持つ新N700系車両は、九州新幹線で最長の筑紫トンネル(1万1935㍍)にスーッと入っていく。出たところが新鳥栖駅。鳥栖はすでに大量輸送の交通網「九州自動車道」「長崎道」「大分道」が交わっている。そこに九州の太い背骨が仕組まれたカタチだ。
 筑後川鉄橋を鹿児島本線と並んで渡ると久留米駅。筑後船小屋駅、新大牟田駅。この辺りの車窓が冒頭に記したように美しい筑後平野。右手にくっきり独立して見えてくるのが雲仙岳(1483㍍)。大空を屏風にして華麗に立つお雛様のような裾の広がりが燦然として目映い。するとまもなく新玉名駅を通過する。
 いい按配にのんびり車窓を眺めていると「……きょうの旅の意味はなんなんだろう。口は黙っているけれど脳がはしゃぎ過ぎだ……」。日本の居住空間的たたずまいの中で用事もなく列車耽溺できるのはこの世の極楽である。
 博多からたった33分、熊本駅に静かに滑り込んで、とりあえず終点。試運転列車だから鉄道用語で言うと「ドア扱いなし」、ホームに出たりはしない。豊かな座席にどっかりと座ったまま「レオ」(蛇足=列車折り返し)。
 内田百閒センセイが夜間寝台急行「筑紫」などに乗り東京から33時間がかりでやって来て、九州をあちこち旅する文学作品「第一、第二、第三阿房列車」。車窓をぼんやりと眺めながら『落ち着いて考えて見ると、全く何も用事がない。行く先はあるが、汽車が走って行くから、それに任しておけばいい。私が自分の足で走るのではないから、どこへ行くつもりでこの汽車に乗ったかと云うことを、忘れても構わない……』と、百閒センセイは、いい心持でぼんやりしながら『そうして、その事の味を味わう』とおっしゃっている。まったくである。この悟り切った心境たるや!
 それにしても、僕たちは熊本駅でホームにも出ないのはなにやら登楼せずに引き返す「素見」(ひやかし)みたいで妙な気持ちだったものの、取って返して博多へ向かう。今度は西側の座席に移って、来た時とは違った角度の車窓風景を堪能する。「乗り鉄」などと近ごろは言うそうだが、鉄道風景は何度同じ線に乗っても違うから面白い。それも同じ路線往復が最上である。西に見える山と東に見える山、街並みも、森も、鉄橋も、田畑も進行方向によってそれぞれ景色は別物なのだ。
     
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 博多に戻る。早い。近い。今回の全通によってもたらす利便は底知れない。たとえ福岡ヤフードーム球場でプロ野球の試合終了が午後10時だとしても、最終の「みずほ」に乗れば鹿児島中央駅に23時46分に帰着できるから野球ファンも増大しそうだ。その逆で、九州の広島カープ・ファンも広島球場へは乗り換えナシで通える。
 ビジネスやレジャー観光分野で決定的なのは、岡山→鹿児島中央が2時間59分、広島→熊本が1時間37分、それ以前よりも52分~72分短縮してしまった。JR西日本とJR九州との友情開発の果実は甘く効果は大である。新N700系のボディーに描かれたロゴは両社が手を取り合う形になっていて印象的である。
 思えば九州新幹線の建設計画は1973(昭和48)年の「整備新幹線5線」モンダイから始まって、財政難、難工事、国鉄民営化、鹿児島ルートやら長崎ルートやらと、さまざまな障害を乗り越えての結実である。これはもう「九すれば通ず」というしかない。      (2011年2月28日記)

思い出の駅を訪ねて 信越本線 関山駅   辻 聡

 今から13年半前、1997年秋のことである。翌年の冬季オリンピック大会を控えて長野新幹線が開業しようとしていた直前、在来線最後の碓氷峠越えの旅を思い立った。
 当時も札幌支店に勤務していたので、〈北斗星2号〉で上京、都内をいくつか回ったのち、その晩は高崎に宿泊。翌1日を使い途中下車しながら信越本線をたどり、同年春に開通していた北越急行線の初乗りも楽しんで、新潟から小樽ゆきの夜行フェリーで帰札というプランだった。
 信越本線ではどうしても降りてみたい駅があった。関山駅である。小学校1年生のとき、すなわち1960年夏休みの家族旅行で、私は両親に連れられてこの駅に降り立ったハズであった。蒸気機関車の引く客車列車のボックス席で冷凍みかんなどを買い、陶器入りのお茶を窓辺に置いて、トンネルが近づけば窓を閉めるという、あの時代の「正統的な」汽車旅の姿が記憶によみがえる。
 横川駅で昼食の弁当……たぶん峠の釜めしだったろう……を買ったこと。そのとき父はホームの駅そばを食べ、私は汽車が今にも発車してしまうのではないかと気が気でなかったこと。アプト式の茶色い専用機関車に率いられ、碓氷峠をそれこそ止まりそうな速度でゆっくりと登っていったこと。窓から顔を出すと、カーブした前方には腕木式信号機が立っていたこと。
 黒姫駅は柏原、妙高高原駅は田口の駅名だった。その後に改称されたのである。「たぐち」の文字なら小学校1年生でも読める。私たちは次の関山で降り、関山スポーツホテルというロッジ風の宿に2泊したかと思う。冬はスキー客でにぎわうのだろう、ロビーには大きな薪暖炉が設えてあった。この宿を拠点にバスで野尻湖などをめぐったのである。
 そんな思い出を胸に再訪した関山駅は、あまり駅舎らしからぬ三角屋根の建物に変貌していた。もっとも旧駅舎の格好がどうであったかは覚えていないのだが。しかも駅自体がわずかに移転したとかで、旧駅跡は近所に放置されていると観光案内所で教えられた。ついでに関山スポーツホテルの存在も聞いてみるが、もう十数年も前に廃業したという。
 スイッチバック解消のために打ち捨てられた旧駅のプラットホームはススキや雑草に覆われていた。だが「せきやま」の駅名標が錆を浮かせながらもそのまま残り、側溝には秋の日差しを反射して清水がキラキラと輝いている。時の移ろいを感じてちょっと涙したくなった。
 いったい、50年前に利用した列車は何だったのだろう。復刻版時刻表の1958年11月号によれば、おそらく上野9時10分発の金沢ゆき急行603列車〈白山〉だったのではないかと考えられる。横川で駅弁を買った時間帯とも符合する。
 ところが、この列車は関山には停まらないのだ。旅館案内のページで関山スポーツホテルを探すと「関山温泉」の欄に記載があり、関山駅から燕温泉ゆきの川中島自動車バスに乗ったと思うのだが、バスと列車の時刻を突き合わせると、どうも接続がしっくりいかない。長野あたりで普通列車に乗り換えたのか。いや、そんな記憶もない。あるいは田口で下車して赤倉ゆきのバスに乗ったのだろうか。いやいや、たしか一度停まった列車がまた動きだしてホームに入ったはずで、だとすればやはりスイッチバックの関山だろう。
 旅の詳細なメモでも残っていれば当時の行程を容易に復元できるのだが、私の幼少期のアルバムにはホテルや野尻湖の白黒写真が数葉貼られているだけである。そこに写っている母は、私の関山再訪から半年後にこの世を去り、上からファインダーを覗く方式の年代物の二眼レフカメラを携えていた父も、一年あまり前についに帰らぬ人となった。(三菱地所㈱札幌支店長から4月1日本社内部監査室長に異動)

在来線「博多南線」の謎  諸岡 達一

 時刻表の謎解きは快楽である。長年抱えたままだった疑問を自分のマナコで解き明かすべく、僕は博多に出張した。この前の「九州新幹線試乗会」(2011年2月24日)、僕が博多集合のB班に参加したのは、この際、ナゾの現場探訪を試みようと思い立ったからである。
◇
 今を去ること1997(平成9)年3月、JRグループのダイヤ大改正があった。山陽新幹線、新大阪←→博多間を2時間17分で結ぶ500系「のぞみ」が日本初の最高速度300㌔(時速)運転をした時である。「JR時刻表」の山陽新幹線のページを繰っていて、何じゃこりゃ! 初めてお目にかかるシルシを発見した。
 そのシルシは●。
 たとえば、新大阪発「こだま383号」博多行きが終着するのが「17時51分」、到着番線が博多「14番線」、そのすぐ下欄に「●」が付記されているのである。また、博多発「ひかり174号」新大阪行きの下欄にも同じように「●」が付記されている。よく見ると、上りで21本、下りも21本、いずれも「●」シルシ付き列車なのであった。そして欄外にシルシの説明【注】あり。「●印の列車は博多―博多南間在来線特急として運転します」とあるではないか。新幹線が在来線? 「詳しくは51ページをご覧ください」と。
 51㌻をめくると、そこにあったのは「博多―博多南(博多南線)」時刻表。新登場? である。あとで判明したことだが、それ以前は448㌻近辺「九州在来線」の仲間として「博多南線」は記載されていた。新幹線ページに記載欄が移動したため新登場のように見えたのだった。
 それもそのはずで、この路線はもともと在来線扱いだが、走る電車は新幹線車両なのである。時刻表には『全列車特急列車 新幹線車両6両または8両編成で運転 普通車全席自由席』と記されている。さらに《ご案内》の欄には『ご乗車には、運賃(190円)のほかに、特急料金100円が必要です。山陽新幹線にまたがってご利用の場合は、特急料金100円と山陽新幹線の特急料金を併算します』と記されているのじゃよ! 290円で新幹線車両に乗れる在来線(営業㌔8・5㌔)なのだ。
 そんなに驚くことはナイのだが、これが僕にとっては20年来の時刻表の中の謎だったのである。従って僕にはこの謎を解く権利と義務とヒマがある。
◇
 「博多南線」は1990(平成2)年に開業しており、北九州、西日本方面に住んでる人は先刻ご存知の話題であり、鉄道ファンもちゃんと知っている事柄だし、ははは、東京住民の僕が無知だっただけで、申し訳ないけれど……やっぱり僕にとっては謎は謎であった。
 現場を訪れると、やっぱり謎の価値は高く面白い!
 まず博多駅の新幹線ホームの表示板には、鹿児島方面の次の隣駅名が「←しんとす/はかたみなみ」と記されている。九州新幹線は全通したけれど、次の隣駅は「新鳥栖」だけではない、これからも「博多南駅」は永遠に存在するぞ、と主張している。「新鳥栖」の方がルーキーじゃないか。「博多南」は20年前から営業している先輩じゃけん。
 僕が博多駅の新幹線ホーム16番線から「博多南」行きに乗ろうとして立っていると、放送が「この列車は小倉・広島方面には行きませんのでご注意下さい」と注意喚起している。鹿児島方面へ全通した今日、もしかして「この列車は新鳥栖・熊本・鹿児島方面には行きませんのでご注意ください」と放送しているかもしれない。ホームが同じだから間違いやすい。
 僕が乗った博多南行き列車は、新大阪発博多行き「こだま729号」が終着となって乗客を降ろし、そのまま「博多南行き」となるのだった。
 これぞ!●シルシの現場である。
 ホームの案内表示には「こだま」の文字はなく、ただの「729」。列車番号表示のみである。博多南線の列車番号はことごとく山陽新幹線を走ってきた列車番号と同じで、つまり博多←→博多南間は列車名のない特急電車となる。「特急729」という呼称は他にないのではないか(面倒くさくなって調べていない。あるかも?)。
 この「特急729」は因縁なるかな500系車両であった。時刻表の謎にブチ当たったのが500系登場の1997年。「ただいま時速300㌔で運転しています」と運転士がご自慢で放送した花形列車「のぞみ号」。いま静かに各駅停車「こだま号」と格下げ? になって、博多南線では特急券100円+乗車券190円で乗れる。車両の後期高齢者人生いかばかりか。
 同列車は博多南駅で折り返し「744列車」となり、博多まで乗客40人~50人を乗せて時速120㌔でゆるゆると走った。博多からは引き続き「こだま744」になり、新大阪まで淡々と仕事をこなすべく14番線を後にした。博多南線を走っている最中に車内放送あり。「このまま新大阪方面に行かれる方は、そのままご乗車ください」。
 2011年3月大改正、最新のJR時刻表をよく見ると、博多南線の本数は現在下り28本、上り26本。主に500系「こだま」のほか、700系「ひかりレールスター」も走るが、唯一「博多南駅」発20時02分→「博多駅」20時12分着の「768A列車」は、九州新幹線全通を機にデビューした新型N700系である。この列車はそのまま博多駅20時20分発の「こだま768」岡山行き(終着23時32分)となる。時刻表の【欄外注】に「768A=グリーン券は車内でのみ発売します」の記述がある。これは特別な1本であることを証明している。
◇
 なにゆえに、博多南線が生まれたか。
 簡単に言えば、博多南に「博多総合車両所」(新幹線基地にあたる)があるからだ。1974(昭和49)年以来、地元住民から「どうせ走るんだから回送列車に乗客を乗せてほしい」の声が高くなった。なんせこの辺り(福岡市那珂川町、春日市)はバスで博多へ1時間圏。難題もさまざまあった中で国鉄からJR会社になり、1990(平成2)年4月に博多南線および博多南駅が軌間1435㍉のまま開業したのである(管轄はJR西日本)。お蔭様で急速に宅地化が進み、僕が博多南駅前に立って眺めてもマンション群、ビル群があちこちに見えた。奇妙な路線効果は確実に現れている。
 博多←→博多南間は所要時間10分、全通した九州新幹線と並行して走る(イラスト参照)。九州新幹線全通の賜物が一つ……新幹線車両ファンにはこたえられない現象……博多南線の「博多―博多総合車両所分岐点間」には「N700系8両編成」「同16両編成」「700系8両編成」「同16両編成」「800系」「500系」「300系」「100系」が連日ぞろぞろ、しかもゆっくり走って行き交う。沿線のマンションに住む鉄ちゃん鉄子には、こんうえなか歓喜であっけん。
 噺はブッ飛ぶけれど、この際(なにがこの際だかワカランが)、東京都品川区八潮にある新幹線大井車両基地から「たった1㌔延長」して羽田空港直通の新幹線を作ればいいのにね、と思う。新青森発の羽田空港行き「はやぶさ」っていう列車が走るとなりゃ素晴らしいように思うが、はて? 東海旅客鉄道新幹線鉄道事業本部様、いかがでしょうか。以前にもそんな話が持ち上がったことがあるのは知っているけれど、やっぱダメですかナ。
 
 【参考】JR東日本「上越新幹線」の枝線「越後湯沢駅←→ガーラ湯沢駅」も、在来線扱い(上越線支線)である。走るのは新幹線車両だが、在来線の特急列車ということになり、運賃140円+特急券100円=計240円で乗れる。時刻表にも、その説明をした上で、『越後湯沢―ガーラ湯沢間の指定席の発売はいたしません』と記されている。なお、ここは冬季のみ運行。スキー場の営業次第となっている。

*文中●は〇の中に▲

盆栽美術館長

 昨年3月、世界初の公立盆栽美術館と銘打ってオープンした「さいたま市大宮盆栽美術館」の2代目館長に交通協力会理事長の菅建彦氏(1965年国鉄入社、交通ペンクラブ会員)=写真=が4月1日付で就任した。
 この美術館は、さいたま市が総工費10億3400万円で建設した。鉄筋コンクリート地下1階地上2階の延べ1500平方㍍。敷地は6400平方㍍もあり、1階のコレクションギャラリーや盆栽庭園に、季節に合わせて50鉢ほどが展示されている。
 関東大震災のあと東京都内から盆栽業者が移住し「大宮盆栽村」をつくった。現在も「さいたま市北区盆栽町」に清香園、蔓青園、芙蓉園、九霞園、藤樹園の5軒の盆栽園がある。近くにある「鉄道博物館」との連携と海外宣伝を強化するため白羽の矢が立った。
 アクセスはJR宇都宮線土呂駅より徒歩5分、東武野田線大宮公園駅より徒歩10分。入場料は大人300円。毎週木曜日休館。ホームページhttp://www.bonsai-art-museum.jp/

モーダルシフト

 「日本の物流と貨物鉄道の役割」をテーマに?交通協力会主催のシンポジウムが2月22日、東京ステーションコンファレンスで開かれ、JR貨物の小林正明社長=写真=が基調講演を行い、モーダルシフトの推進を訴えた。
 モーダルシフトとは、国内の貨物輸送をトラックから鉄道または海運に転換すること。環境負荷の低減に加え、エネルギー問題、少子高齢化に伴う労働力問題の解決に資するとしている。しかし、小林社長によると、貨物輸送のシェアは1000㌔超の長距離郵送でも鉄道のシェアは36%。トン㌔ベースだと、わずか4%に過ぎない。
 「景気の減速に底入れ感が出てきた」矢先の3・11東日本大震災。JR貨物は震災による鉄道不通区間をトラックによるコンテナ輸送に切り換えて輸送を再開する一方で、被災地への「救援物資の無賃輸送」を行っている。

こなきじじい駅長

 妖怪こなきじじいが、無人駅JR土讃線大歩危駅の新駅長となった。地元三好市山城町は子泣き爺伝説発祥の地とされ、道の駅には「妖怪屋敷」が併設されているほど。祖谷渓の古民家に住む英国人のアレックス・カーさんらが仕掛け人。

「私も鉄子」

 「時刻表マニアなんです。仕事でどこかへ行くときは誰よりも先に時刻表を調べて、この列車がいいとか、ここで乗り換えた方が早い、とか。全部自分で調べるんです」。女優の吉永小百合さん=写真=「大人の休日倶楽部ジパング」2011年4月号から。

須田寛さん 『昭和の鉄道』出版

 JR東海相談役、というより鉄道マニアの須田寛さん(交通ペンクラブ会員)が『昭和の鉄道―近代鉄道の基盤づくり』(交通新聞社新書、800円税別)を出版した。資料編を含め本文316㌻。内容豊富な分厚い新書である。鉄道の創業と発展(明治)、鉄道の拡充期(大正)を前史として、昭和を興隆期、戦時下、戦後復興期、高度成長期、転換期に分け、「住民(乗客)にとって最も身近な鉄道運輸に焦点を絞り、その歩みを振り返る」鉄道史である。
 少子高齢化社会が進む中で、今後の鉄道は「地域住民との連携・協働がその出発点になる」と結論づけている。

2011年5月11日水曜日

第218回例会

第218回例会  「日本経済の先を読む…ピンチをチャンスに」


2011年4月22日
日本経済研究センター会長・新井淳一氏




2011年3月3日木曜日

第217回例会「十河信二と満鉄・興中・新幹線ー東大と郷里西条市に残された資料を中心にー」

第217回例会

「十河信二と満鉄・興中・新幹線ー東大と郷里西条市に残された資料を中心にー」


東大名誉教授・原朗氏

2011年1月31日月曜日

創設30周年の春祝う

新年互礼会に62人出席

 創設30周年を迎えた交通ペンクラブの新年互礼会が1月6日午後5時から日本交通協会大会議室で行われた。出席者は62人だった。ことし96歳となる年男の元国鉄総裁・仁杉巖さんをはじめ、93になる元読売新聞の魚住明さん、92歳になる元国鉄・齋藤雅男さん、元交通新聞の石神源助さんと、長寿番付ベスト10の4人が元気に参加。これまでにない大賑わいだった。
           
 曽我健代表幹事が交通ペンクラブは1981年に創設され、ことし30周年を迎えるとあいさつしたあと、JR東日本の清野智社長が「東北新幹線で3月5日にデビューする新車両E5系『はやぶさ』の試乗会にお招きします」と、お年玉。JR北海道の小池明夫会長が「東北新幹線開業効果で、道内の鉄道利用者も増えている」と話した。
 この日発表された年末年始の新幹線利用客は、JR東日本の5新幹線で334万人(前年比6%増)、東海道新幹線が292万人(7%増)、山陽新幹線が146万人(8%増)、九州新幹線が10万人(12・4%増)。昨年12月開業の東北新幹線八戸~新青森間では、前年の在来線特急と比べて18%増だった。
 続いて乾杯。音頭は最長老・仁杉さんと、JTBの広報室長、波潟郁代さん(1988年入社)。9回目のうさぎ年を迎えた大先輩の脇で「ともかくよろしくお願いします!」と波潟さん。なごやかな雰囲気の中で歓談に移った。
 午後7時前、長寿番付4位の齋藤雅男さんが中締めのあいさつ。「これまでに112カ国へ行ったが、日本の鉄道は世界一です」と意気軒昂だった。

「祝30周年」 会員ひと言集

 交通ペンクラブ創設30周年に寄せられた会員からのメッセージ



 鉄道と航空、道路交通の関係は、この30年間にもさまざまな局面がありましたが、激しい競争の中で全体としてはそれぞれが工夫をこらして世のコミュニケーションを活発にしてきました。これからの30年、リニアモーターカーの登場や格安航空の普及、国の道路交通政策などでさらに大きな変化があるでしょう。その中で安全で快適な鉄道の役割が十分果たせることを祈っています。     (隈部紀生)

 およそ30年前、交通ペンクラブ創設を祝うが如く1981(昭和56)年10月1日、大宮→盛岡に東北新幹線が開業した(3時間17分)。大宮と上野間を「新幹線リレー号」が走ったのも懐かしい。編集委員の僕は、当時「アウトドア・ライター」と称して、ほとんど出社しない記者だったから、真冬を迎える頃になって盛岡往復した。新花巻駅を過ぎてまもなく右側車窓に僻遠なる秘峰「早池峰山(1914㍍)」が見える。冠雪したその姿が燦然と現れるのだ。日本で唯一、ホンモノのエーデルワイスに近似値の「ハヤチネウスユキソウ」が咲く山。汽車旅は「山を見て、あれは何山」と名指し出来ないと面白くないのですよ。ま、それはともかく、あの時と同じ気分で交通ペンクラブ30周年のお祝いは「九州新幹線」開業です。       (諸岡達一)

 そうですか、もう30年ですか! めでたいと思う半面、牧田さん、せいさん、馬渡さんらお世話になった方々を失い、寂しいし、残念な気もします。
 僕はもう少し頑張ります。だけど、リニアまでは自信がないなあ。周りのみなさんもご健勝で……。JRは永遠に不滅です。      (松浦和英)

 せいさんに誘われて参加してもう30年もたったかとびっくりしています。今は亡き?さんはじめ幹事・世話役の皆様、ご苦労様でした。熱海にいると、せめて「こだま」が30分おきでなく、15分、20分おきだと楽なのですが……。       (阿部 恂)

 30年前、初めての会員名簿と集い。日々修羅場の競争の中にも、肝胆相照らす心意気の仲間だった報道各社諸賢。取材の都度、読書などを遙かにしのぐ該博な教養と識見を披瀝され、心洗われた国鉄等の幹部諸氏。なんと息子まで付き合ってくれたその人間味。取材拠点としては希有の香り高い世界だった。30年経た今もその馥郁たる思いは燦然として残る。弥栄!   (中林幸夫)

 クラブ創設30周年おめでとうございます。これほど長く継続してきたことに、改めて敬意を表します。?さんや堤さんのご苦労をみて、感心しています。これからもまだまだ続けられるよう、皆で応援してゆきましょう。        (竹内哲夫)
 
 30周年、まことにおめでとうございます。企業の寿命は30年と云いますが、JR北海道もその日をしっかり迎えられるよう、がんばらねばと思っています。          (小池明夫)

 2011新春クイズ
 新幹線は東海道だけは成り立つと計算していたのが1958年ごろ。それから半世紀余りで青森―鹿児島間全通。さて、北陸新幹線は全通するでしょうか。それはいつごろでしょうか?             (角本良平)
 
 せいさんのご来訪を受けて、「交通ペンクラブ創立の構想」を拝聴したのが、つい先日のような気がします。はや「クラブ」も三十路(ミソジ)に差しかかるとは感動です。会員の方々のご健勝とご幸福、ご発展をお祈りしています。   (柳井乃武夫)

  「交通ペンクラブ」創設30周年おめでとうございます。
 九州新幹線博多以南がやっと3月12日に全通します。博多開業以来、36年ぶりですから、「交通ペンクラブ」30年は、まだまだ若いです。今後の継続を期待します。     (石井幸孝)

 30年よく続いていると敬意を表します。北海道新幹線に期待しています。   (鏡谷光司)
 
 安岡干支学による“辛卯”の年は「基本を踏み、筋道を立て、断固実行して、困難を克服し、繁栄へと導く年」とされています。但し、怠ると紛糾と混乱の年。60年前、昭和26年日米講和条約批准。社会党左右分裂、マッカーサー罷免。120年前、明治24年予算案をめぐり山県内閣倒れる。大津事件発生。濃尾大地震起る。何かが予感される年のようです。皆々様に宜しく。          (井手正敬)

 30周年、誠におめでとうございます。私の30年前をふり返ると、産経新聞横浜総局で頑張っていました。「ときわクラブ」の仲間だったのは、さらにその10年前。運輸省とかけ持ちで、鉄道のおもしろさ、奥の深さを学ばせていただきました。クラブがますます歴史を刻み、発展されることを祈念いたします。               
(菅原順臣)

 お門違いですが、敢て菅さんへのメッセージを書きます。菅さんに望むこと。①長い国内景気の低迷から脱出すること。②正念場にきた沖縄基地問題を解決し、戦略的な日米の信頼関係を維持すること。③わが国の国際的地位の低下に歯止めをかけること。
 末筆ながら交通ペンクラブ30周年おめでとうございます。今年もどうかよろしくお願いします。ペンクラブは楽しい会です。      (岩崎雄一)

  「今年もまた値上げだそうである。値上げ、値上げである。これでは国民の国鉄離れが進むばかりである。われわれは、いつ、どんな時でも民衆の立場で、ものを考え、意見を述べなければいけないと思っている」。昭和57年1月「交通ペン」創刊号の代表幹事の言葉である。あれから30年、JRは一度も値上げをしていない。信頼される国民の足になっている。交通ペンクラブも少しは役割を果たした、と思いたい。よき30年であった。 (曽我 健)

 30歳といえば働き盛りの壮年!今後一層のご活躍を!と言いたいところです。お互いに頑張りましょう。               (岡田 宏)
  
 国鉄→JRを通し、よきコミュニケーションの場をつくってくれました。それにしても歳月の足取りの速さにため息です。     (柏 靖博)

  世話好きのせいちゃん(せい種彦・初代事務局長)が「なにかいたずらを仕掛けているようだ」。そんな噂が囁かれていたある日、東池袋にある私のマンションにやってきた彼「これが噂の交通ペンクラブの設立趣意書だ。総会通知を作ってくれないか」。言われるままに、当時流行っていたプリントごっこで刷って三百通くらいばらまいた。
 設立当日の出席者は、ときわクラブOB41人、国鉄側がどっこいの36人。どうせ長くは続かないだろうとの観測は外れて30年も。改めて?ちゃんの顔と人気の広さに献杯。  (古林肇道)
 
 30年というので、改めて10年、20年、25年記念号を引っ張り出した。これが面白い。短く気楽な断片なだけに、本音の文章が光る。3部まとめて再版し、30年事業で皆さんにお配りしたらどうか。「血の気が引けたあの日」(10年誌)の座談会は超貴重。東京駅改築工事が完成したらペンクラブは解散というが、2012年でJR25年、2014年で新幹線50年。もう少し頑張っても良いのでないかしら。  (吉澤 眞)
 
 人も事業も一代30年とはよくいったもの。よくここまで来ましたね。“線路は続く”JR各社の皆様のおかげです。多謝、深謝とともに、各社と皆様の明日のご発展をお祈りします。              (鈴木隆敏)
 
 ときわクラブにいた頃というと、磯崎叡さんが突然、総裁の辞任を表明した日のことを思い出す。国鉄の運賃改定問題に関心を持ち、前日にも国会対策の機微などを聞きに行っていただけに、突然の辞任には驚かされた。あとで磯崎さんに「ごめん、ごめん」といわれたが、心中の思いをおくびにも表さなかった磯崎さんの顔が懐かしく思い出される。磯崎さんの自伝『あの日も列車は定時だった』に鎌倉に住んでいた小学校時代の思い出が書かれている。寿福寺の隣にあった家から横須賀線の線路を渡り、八幡宮の隣にある付属小学校に通ったというが、この道は今、私の散歩道である。 (土谷精作)
 
 交通ペンクラブの30周年を寿ぎ、歴代の代表幹事、事務局長、幹事の方々の大変なご尽力のお蔭とあらためて敬意と感謝の念を深くしています。気がかりなことは、メンバーの高齢化が進んでいることの今後の対応です。              (石田孝男)
 
 30周年おめでとうございます。30周年にふさわしい記念行事などの企画を期待しています。また、交通ペンクラブの一会員として今後のお付き合いの程、よろしくお願いいたします。     (大澤宏海)
 
 交通ペンクラブ30周年おめでとうございます。30年と云えば丁度私が昭和30年から昭和60年まで30年間国鉄に在職しましたので、同じ長さです。振り返れば本当に長い歳月だったと思います。交通ペンクラブの50周年を目指して益々のご発展をお祈り申し上げます。          (山本佳志)
 
 えっ!あれから30周年? もうそんなに……。よくぞここまで……。歴代幹事さんのご努力に脱帽。ここ数年来、各種会合・行事に欠席常習でザンキ。     (赤澤 弘)
 
 祝30周年。まだまだ「若い」と思いたいものです。先輩方のご苦労に感謝。    (牧 久)
  交通ペンクラブ創設30周年、心からお祝い申し上げます。この歴史を刻めたのは事務局の皆様の御尽力の賜物と深謝致します。今後もよろしくお願い申し上げます。     (城内秀定)
 
 30周年、誠におめでとうございます。永年にわたり温かいあと押しを頂き、感謝しております。これからも益々の御活躍を祈念しております。       (野沢太三)
 
 30周年記念お目出度うございます。今後益々ご発展祈念致します。   (増田浩三)
 
 祝30周年。30年前は、土光臨調の分割民営、片や国鉄の35万人計画、その間を「しがらみ」「余剰人員」などの初の官用語が飛び出し定着しました。
 一方、現場ではヤミ手当、ポカ休、はては酒酔い事故……国鉄の記事のない日はなし。今やニュースソースはすっかり静か。慶賀の至りですね。  (室賀 實)
 
 30周年おめでとうございます。新幹線列島直列の時代になり、もうひと花を!      (田沼 純)
 
 創設30周年おめでとうございます。定例講演会、新幹線試乗、各種催し物などタイムリーな企画に参加、思い出いっぱい。ますますのご発展を祈念いたします。       (石神源助)
 
 お目出度く存じます。30年間、我々関係者をはげましていただき有難うございます。今後も関係者の皆様のお役に立つよう活動することをお願いします。交通ペンクラブの一層の発展を祈ります。        (仁杉 巖)
 
 「まだ腐れ縁続いているの?」。かつての記者仲間の乱暴な言葉のウラに、やっかみの表情。かつての記者クラブが親睦・懇親の場として長年続いている会は、政・経・社の他のクラブにもない。「金もちより友もちの時代」。交通ペンクラブの存在は、国鉄・JRの関係者のみなさん、今の曽我代表、堤事務局長の献身と熱意のおかげ。心から感謝!         (辻 勝)
 
 私の広報部勤務は1954年で、三鷹電車区から赴任しました。三鷹で出会ったのが毎日の大澤さん(故人=交通ペンクラブ員の大澤栄作さんとは別人)でした。新幹線開業前で、十河総裁の定例記者会見に必ず同席しました。十河さんは若い補佐にも必ず声をかけ、「がんばれ」と力一杯叩かれるのには閉口しました。  (小澤耕一)
 
 30周年を心からお祝い申し上げます。小生、今年2月、喜寿です。抜いた、抜かれたの活字全盛時代を生き抜かれた皆さんと共に、これからも充実した熟年人生を送りたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。              (小清水 忠)
 
 国鉄からJRへの道程を辿り、見つめてきた交通ペン。日本の鉄道は明治5年以来、約40年ごとに、国有化、公共企業体、JRへと大きく舵を切りながら発展してきました。交通ペンは役目を閉じるかも知れませんが、現役の諸兄姉に託した20年後の鉄道の姿に、思いを馳せます。私はそれを見られないと思いますが……。  (矢島明彦)
 
 恒例長寿番付拝見。心よりお喜び申し上げます。日野原先生のご本によれば長寿が常態の時代になり、昔の感覚で言うなら、男性は8掛け、女性は7掛けで考えるのが正当とか。90歳×0・8=72歳、80歳×0・8=64歳、70歳×0・8=56歳……だそうです。皆様益々お元気で!    (齋藤 蓊)

 30周年おめでとうございます。この頃、電気通信の自由化、電電の民営化の話が進み、国鉄が通信事業への参入の礎を築いた。やがて日本テレコム、Jフォンへと発展していった。
            (林 義郎)
 
 交通ペン創設30周年、まことにお目出とうございます。会員各位の連帯感と堤事務局長の責任感で非常に充実した運営が維持されているのは、本当に素晴らしいことだと思います。               (吉村雅司)
 
 創設30周年、おめでとうございます。顧みますと、幸運にも国鉄広報部に在籍中に東北新幹線と上越新幹線の開業前の試乗に、高木総裁が案内役で「ときわクラブ」の諸先輩と、私も同乗できたことが、今でも忘れることができません。「交通ペンクラブ」がますますご発展されんことを祈念して止みません。         (大場敏巳)

 交通ペンクラブ発足30周年おめでとうございます。いつも会報を拝見させていただき、皆さまのお元気な姿を見るに着け、私も頑張らなければと勇気づけられております。  (長森利春)

 交通ペンクラブ創設30周年、お祝い申し上げます。ここ数年、大幅に落ち込んだ営業成績は、昨年ようやく下げ止める兆しをみせたものの、景気回復・景気循環といった次元からほど遠い実情であります。しかしながらピンチはチャンスであり、そのチャンスは何処にあるのか、お客さまのニーズは何か、どんな企画・アイデアを出す事が出来るのか、どうすればそれは実現できるのか。私ども社員と一丸になり、チャレンジしていこうと考えております。
 今後とも交通ペンクラブ会員の皆さまの一層のご指導を賜りたいと存じます。なにとぞよろしくお願い申し上げます。(中村芳明=㈱ジェイアール東日本企画広報部長)
 
 あらためて馬渡さん、牧田さん、?さんらの懐かしい姿を思い出します。同時に、今も心地良い雰囲気を維持して頂いている仁杉さん、曽我さん、堤さんらのご苦心に感謝しています。新しいメンバーの参加も望みたいところですが、それはそれとして納得していけばいいのではないでしょうか。
 2011年の新年会で諸先輩と杯を交わしながら、「この会は自分にとっても自慢できる集いだなあ」と嬉しく感じました。揃って元気でいきましょう。          (平野雄司)




 







交通ペンクラブ30周年! 誠におめでとうございます。30年前の事どもを思い出して、感一入のものがあります。民営分割の直前で、私は民鉄協会にお世話になり、勉強させてもらっていました。懐かしい思い出です。
 それにしても30年間のクラブの運営、大変だったでしょう。会員の皆さんの努力は勿論ですが、事務局の御苦労は私共の想像を超えるものだったと思います。この状態は当然今後も続くわけで、無力な一会員ではありますが、かねがね事務局には申し訳ないなー、と思っていました。この場には不適当なコメントかも知れませんが、なんとか有力会員の皆さんのお力でしかるべき〝手〟を打って頂ければ、と思いますが如何でしょうか。  (川野政史)
新年互礼会出席者は次の通り      (敬称略)
 青木豊太、新井良亮、石神源助、石田孝男、石田義雄、魚住明、小縣方樹、大塚陸毅、岡田宏、柏靖博、上地啓理、川田啓貴、川野邊修、久谷與四郎、隈部紀生、小池明夫、小清水忠、小林正明、齋藤雅男、杉本伸明、鈴木隆敏、清野智、関原誠一、曽我健、田村修二、竹内哲夫、竹田正興、谷欣哉、谷哲二郞、柘植康英、辻勝、堤哲、冨田哲郎、中島啓雄、波潟郁代、仁杉巖、西川由朗、西田博、野沢太三、野中雅志、林義郎、平野雄司、深澤祐二、福眞峰穂、二川和弘、本田勇一郞、前川忠生、前田喜代治、牧久、松浦和英、三坂健康、水野弥彦、宮内敏男、宮澤勝己、室賀實、諸岡達一、薬師晃、山田能生、山本佳志、柳井乃武夫、吉澤眞、米山淳一

ロバートソン黎子さんの新春ワシントン便り

 青森新幹線試乗会の車中で楽しくお話させていただいたのがもう旧年中のこととなり、新しい年が来てしまいました。お元気でお過ごしのことと思います。
 こちらでも見られるNHK放送では、東京はいつもお日様マークのにこにこ顔が出てきます。世界の首都の中でも恵まれた気候の都市なのだなあという感じを持ちます。
 米東部はクリスマスに大雪に見舞われて、交通麻痺などで大変でした。ワシントンは雪が避けて通ったので、今回はホワイトクリスマスにもならず、霜の降りる日々ぐらいのものですが、昨年は記録的大雪で停電が4日も続き、原始生活を余儀なくされたので、みんな戦々恐々として天気予報を注目する日々です。
 天気予報と共に、戦死者の写真と経歴が出てくることがよくあり、胸を塞がれます。無声で画面だけが流れるのです。アメリカも戦争をして10年になり、イランとアフガニスタンの戦場に兵士を送っている家族が20万人にもなります。妻と母を合わせると、それ以上の数の「銃後の女性」がいる、ということになりますね。
 平和な日本では想像もつかないような、深い悩みと苦しみがあります。
 青森県の「東奥日報」紙と熊本県の「熊本日日」紙に、月2回「ロバートソン黎子のウーマンズ・アイ」と題された記事を書いていますが、最近そのことについて書きました。
 東奥日報紙には「ウーマンズ・アイ」のほかに、同紙のウエブ版の「Web東奥」に「なでしこおばさまサロン」という長い記事を連載していますが、そこに上記のテーマの「フラット・ダディ」について詳しく書いているので、下記を開くと読めます。
 http://www.toonippo.co.jp/blog/nadesiko/
 「Web東奥」のサイトでは、過去の記事も見られます。お暇な折にでも「なでしこサロン」へお立ちよりください。
 寒さの折、御身お大切にお過ごしください。

未来の駅

  これがベルギーのリエージュ・ギュマン駅だ。素敵なデザインですね。500億円をかけ、2009年9月に完成した。流線型の大屋根は長さ200㍍、高さ35㍍。全体に丸みのあるデザイン、白を基調に太陽光をたっぷり取り入れて、明るく清潔感がある。未来志向の建築である。
 設計はスペインのサンティアゴ・カラトラバ氏(1951年生まれ)。アテネ五輪の主会場、チューリヒやリスボン中央駅を手がけた。
 首都ブリュッセルから東100㌔。パリ発ケルン(ドイツ)行き高速鉄道の中間駅でもある。ヨーロッパの交易の中心都市というものの、人口は約20万人。駅の利用者は1日3万6000人だ。
 日本の感覚で言えば、たったそれだけの規模の駅に500億円もの投資はいかがなものか、メンテナンスが大変そう、無駄なスペースがたくさんある、もっと構内店舗を増やせる、と批判を浴びそうだ。
 しかし、リエージュ市民をはじめ、ベルギー国民の多くが、この素晴らしいランドマークの登場を喜び、誇りに思っている。開業式典には、ベルギー国王も駆けつけた。「効率性や収益性だけでは語れない、プライスレスな夢に投資したプロジェクトだったように思える」と、JR東日本の国際業務部ブリュッセル連絡室の小出直哉室長は分析している。

NHK新会長

 NHK会長にJR東海副会長(前社長)の松本正之氏(66歳)=写真=が25日就任した。松本氏は1967(昭和42)年旧国鉄入社。仙鉄局総務部長、職員局雇用対策室長、新幹線総局総務部長からJR東海へ。2004年社長、10年副会長。                       

かねやん


 交通ペンクラブの第218回例会(3月18日)は、かつて「国鉄スワローズ」の大黒柱で野球殿堂入りの金田正一さん(77歳)をお招きしているが、「カネやんから年賀状をいただいています」というのは、交通ペンクラブ会員の増田浩三さん(76歳)だ=写真。
 増田さんは慶大法学部で故佐藤栄作元首相の二男佐藤信二元衆議院議員と同期。その関係で磯崎叡元国鉄総裁―馬渡一眞元副総裁を通じて交通ペンクラブに加入した。
 鉄道マニアで、『栄光の超特急〈つばめ〉物語』(04年JTB刊)の著作があるが、「金田さんとはサザンクロスカントリー倶楽部の支配人をしている時に、読売巨人軍のゴルフコンペで見えられて以来、年賀状のやりとりを続けています」といって、30年に及ぶファイルを見せてくれた。現在は静岡県ゴルフ連盟専務理事だ。