2008年11月26日水曜日

山之内秀一郎さんを偲ぶ(6)

山之内さんからの手紙

 山之内さんの『JRはなぜ変われたか』(毎日新聞社)は、ことし2月20日に発行された。交通ペンクラブ会員の柳田眞司氏(昭和27年旧国鉄入社)は三軒茶屋の国鉄アパートで4年後輩の山之内さんと隣部屋に住んでいたことがあり、読後の感想を送ったところ、山之内さんから長文の礼状が届いた。その一部を紹介したい。

◇    ◇
 最大の出来事はやはり国鉄改革でありました。あの当時はかなり悩んだこともありましたが、何といいましても一国の総理が政策として打ち出した方向にゆくだろうと思いましたし、労働問題と財政問題の破局的状態から抜け出すためには組織を一度壊さなければ駄目だなと思い、その方向にスタンスを決めました。組合問題で別の道を行くのはつらい決断でしたが、所謂改革組と協調しておりましたので、その立場をひるがえすことは「男がすたる」と思いまして、分割民営化賛成の方向に立場を明確にしました。
 当初は分割民営化に反対すれば役員になれるが、賛成すると排除されると思いましたが、敢えて決断しました。その頃には民営分割が本当に実現し、現在のような順調な経営を実現できるとは夢にも思っておりませんでした。
 JR東日本が発足しました時には国鉄カルチャーをすべて変えようという思いと、事務系幹部支配と労働組合の抵抗のためにやりたくても出来なかったことをやってみようと思い、色々なことに手をつけてやや強引にプロジェクトを進めました。もう早いものでJR発足して二十年経ちましたので、その間の思いと思考過程を記録しておくことがJRの今後の経営に当たる方々にも何らかの形でお役に立つのではないか、自分として振り返ってまとめてみたいと思いまして本書をまとめてみました。(中略)
 何とか出来るうちにと思いまして、昨年は五回ヨーロッパに行きました。ウィーンのニューイヤーコンサート、プラハの春音楽祭、バイロイト音楽祭、ルツェルン音楽祭などに行ってきました。今年は出来ればザルツブルク音楽祭、ベルリン・フィルとベルリンオペラ、ペーザロ音楽祭などに行ってみたいと思っております。
 又お目にかかれる機会があると思いますが、とりあえず御丁寧な御手紙をいただいたことに心から御礼申し上げます。末筆になりますが御健勝をお祈りいたします。
      敬具

    3月3日                               山之内秀一郎